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 僕たちは何も持たずこの世に生まれた。  生まれたままの自分、裸の自己。  この世界に墜ちてきて……。

 何を成し、そして何処へ還っていくのだろう。
 わかるのは、独りであるということ。  人の心は見えず、世界は寡黙で、自分などいなくても世の中は変わらない明日を迎える。

 自分などいなくても……。  たしかなのは。  絶対的な孤独。  唯一信じられるのは、己の感覚。
 内に向かう世界。

 それでも…。  …それでも、もしも自身ではない、もっと大切なもの、かけがえのないものがこの世にあるのだとしたら…。

 あるいはそれに巡り合うためにこそ……。

 僕らは降りてきたのかもしれない。

 僕たちは何も持たずこの世に生まれた。

 だから…かけがえのない半身、自分を自分たらしめてくれる存在を捜している。

■回想

 遠い雑踏。
 行き交う人々の群れ。右に左に。

 皆同じ顔、同じ目。
 誰ひとりとして彼に関心を向けないという一点において、同じ繰り返しの渦のなか。

 幼い子供がいる。
 小学校にあがるのを控えたくらいの、そんな年頃、背格好だろうか。

 しかしそのうつぶせぎみに下方をにらみつけるまなざしに、年齢相応の無邪気さ、あどけなさはない。

 その瞳が見ているものは、手を伸ばせば届きそうな無数の人々の背中と、自分との間にあるつめがたい距離だ。

 距離?
 それはすでにして峻厳とそびえたつ見えない壁の連なりかもしれない。

 少年は大地をにらむ。

 気が付けば、こうして生きていた。

 親と呼べる存在は知らない。
 どこで生まれ、どうしていまここにこうしているのかも、わからない。興味もない。

 生きていくだけで瞬間が過ぎていく。
 過去は意味を持たず、明日を考える必要もない。

 少年を支配する感情は、怨嗟、力、孤独、破壊。

 しかしそれさえも、少年には確固たる説明可能な意志としては知覚されていない。

 物心ついたときから、こうして生きてきたのだ。優しさ、協調といった対になるはずの感情は知らない。

 それが普通だったのだ。

 ……。

 見慣れないものが少年の視界に入り込んできた。

 小さな、かわいらしい白い靴。

 不審げにまなざしを滑らせる。

 締まった足首、細い脚線、ひらひらと揺れる丈の短いスカート。

 そこに――ひとりの少女が立って、こちらをうかがっていた。

【少年】「……」

 無言の圧力を視線にのせて、少女をねめつける。

「見るな、かまうな、あっちへ行け」
 少年の冷ややかな応対は、そう語っている。

 しかし眼前の少女には通じなかった。
 少女の顔に見たこともない表情が浮かぶ。

【少年】「……っ……なんだ…なんだよ、おまえ!?」

 それは別段不可思議でも何でもない造作の変化に過ぎなかったが、少年を恐慌に陥らせるには充分だった。

 そんな表情、そんな感情を向けられたことなどなかったから。

 微笑――柔和な笑み。

【少女】「ねえ……どうして泣いているの……?」

【少年】「泣く? 泣いてなんかいない……」

【少女】「どうして……?」

【少女】「君のこころが、助けて、助けてって泣いてるのがわたしには聞こえるよ……?」

 少女の姿をまじまじと見つめる。
 奇麗な服。女の子らしいアクセサリーの類。

 自分とは違う。
 少年は急に、自らのみすぼらしい薄汚れた格好を強烈に意識した。

 目の前の少女は「向こう側の人間」だ。
 こいつは自分とは違う。

【少年】「……行け」

【少女】「……」

【少年】「かかわるな……おまえなんか知らない。僕に近づくな……」

 むき出しの敵意で身を鎧う。
 こうしていままで自分を守ってきた。生きてきた。

 こうすれば誰も彼の領域に踏み込まない。
 変わらない瞬間が続いていく。

 そもそも変えよう、変わるだろうなどという認識すらないのだ。
 現状しか知らないのだから。

【少女】「……」

 少女の様子に小さな変化が見えた。
 少年の思いもよらない方向へと。

 少女は自分と同程度の歳くらいに思えた。

 すぐにも逃げ出すだろうと踏んでいた。
 威嚇、暗い攻撃性をちらつかせたはずだった。

 しかし少女はおびえるようなこともなく、当然あわてて身をひるがえすようなこともなかった。

【少女】「……んー、ええっと……」

 女の子はちょっと困った風になって、小首をかしげるように思案の態になる。

 予想しなかった展開に、少年の心にもかすかな揺れが生ずる。

【少年】「……」

 警戒をいくぶん残しながら、さっきまでとは違う視線を少女に投げかける。

 美しい少女だった。
 あらためて眺めれば、そのことがいまさらのようによくわかった。

【少女】「そうだっ!」

 突然少女が表情を崩した。

 ちょっと彼女に見惚れる風になっていた少年は、ドキリとしてあわてて勢いで一歩退いた。

【少女】「お互いよく知り合えば、もう「知らない」なんてこと、ないよね?」

【少年】「……」

【少女】「名前、なんていうの? どうしてずっとここに立っているの? お母さんは?」

【少年】「……うるさい。そんなもの、ない」

 きりり、と歯ぎしりを呑み込む。

【少女】「え? ……名前、ないの?」

 驚いたように目を丸くする少女。

【少年】「……名前じゃない……そうじゃなく………っ!?」

 むきになっていい返そうとするその一瞬の虚を衝かれて……。

 あ、と思ったときには、少女はとても自然な、そして素早い動作で駆け寄ると、少年を抱きすくめていた。

【少年】「あ……なっ、こいつっ……!?」

 一瞬のことで、少年はモガモガと手足をばたつかせる。

 強引に振りほどくこともできただろうが、いまは驚きの方がまさっていた。

【少女】「知ってるよ……名前がないなんてこと、ないもんね……」

 自分のほっぺたのすぐ横に、少女の頭があって、ふわりと立ち上った芳香が鼻をくすぐった。

【少女】「わたしも、本当のお母さんは、いないんだ。お父さんもだけどね」

 何も聞こえない。
 頭に血がのぼって、自分の打つ鼓動の早さばかりが耳にうるさい。

 こんなことは初めてだ。
 知らない。こんな対応、こんな言葉は知らない。
 この少女はなんだ?

【少女】「ほら……ちょっとだけ、涙も止まったね」

【少年】「泣いてなんか……いないって……いってるだろ……」

 弱々しく声を返す。

 どうして。
 何かが変わり始めている。

 少なくとも……。

 この少女は自分の懐に奔放な気ままさで入り込んでしまった。もう世界は自分だけのものではなくなってしまった。

 「自己」と「他者」にわけられていた世界。
 その自分の裡に、少女はするりと侵入してしまったのだ。

【少女】「名前、おしえて欲しいな。そうしたらちゃんと呼べるよ、君のこと」

【少女】「……わたしの名前はね……」

 やわらかい少女の感触が全身で感じられる。
 いい匂いがする。

 ……離れなきゃ……。
 彼女のぴかぴかに輝いている洗い立て、おろし立てみたいな洋服が汚れてしまう……。

 ……でも……。
 力が入らない。

 雑踏はますます遠く、かすんでいく。
 向こう側のやつらは違う。自分とは違う。

 手を伸ばせば届きそうなその距離は、しかし縮まることはない。

 ますます色を失っていくそのなかで、不意にあらわれた少女の姿は、他の何よりもまぶしかった。

【少年】「僕は……」

 少年の唇が自分の名前をゆっくりと紡ぎだす。

 少年は、他人に自分の名を告げることが久しくなかったこと――。

 ――いや、記憶にないということは、もしかしたら生まれて初めて名前を口にしているのかもしれない、などと漠然と考えていた。

 いままでは名乗る必要もなかったのだから。

 広い世界の片隅で、大きな街の一角で、少年と少女は出逢い、交わされていく言葉がこれからの始まりを謳っていた。

■教室−ホームルーム(朝)

 教室は水を打ったような静けさで包まれた。

 別段、強制されたものでも、誰の意図によるというものでもない。

 自然と、そうなった。

 ひとりの青年――正確には彼も含めたふたり組によって。

 転校生だった。
 九月の、夏の終わりの転校生。

 それまでは。

 ざわざわと朝の喧騒があふれる教室は、いつもと同じ日常を見せていた。

 そこかしこで仲のいい者同士がつるんで、たわいのない会話に興じる様は、生徒たちの日課のようなものだ。

 しばらくもして、いつものようにチャイムが流れ、担任の教師がやってきて──。

 ──そこで、場の空気は一変したのだった。

【薫】「…あ………」

 少年が、いま初めてここがどこか気づいたとでもいうように、まわりをひと眺めした。

【薫】「ああ…」

【薫】「…鳳薫(おおとりかおる)です」

【薫】「よろしく…」

 担任に連れられて初めて生徒たちの前に姿をあらわしたその男に、教室の誰もが目を奪われ、息を呑んだ。

 しわぶきひとつ聞こえない。

 薫が、ぺこ、と頭を下げると、ようやく教室に物音が帰ってきた。

 ほぅ、というため息にも似た呼吸。
 ひそひそとささやき交わす声。

 薫のたぐいまれな容貌が、そうさせた。

 均整のとれた四肢、すっと鼻筋の通った美少年然とした顔の造り。

 その上に、どこか別のところを見ているような、ぽ〜とした雰囲気をまとっている。

 ──奇妙な、常でない印象の転校生。

 そして、その傍らには。

【澪】「はじめましてっ」

【澪】「ボク、鳳澪(おおとりみお)っていいます」

【澪】「転校してきたばかりでまだわからないことだらけだけど……みなさん、よろしくおねがいします!」

 そういって元気よく挨拶したのは、薫といっしょに教室に入ってきた小柄な女の子だ。

 活発そうな、いかにもじっとしていることに耐えられないといった感じの少女だった。

 ──姓の同じ、もうひとりの転校生。

【教室の生徒】「はーい、はいはい!」

 女生徒のひとりが手を上げる。

【教室の生徒】「薫くんと澪さんは兄妹なんですかぁ?」

 澪のおかげで場の雰囲気が和んだか──生徒のひとりがようやく沈黙を破った。

 質問…というよりは、形式的な確認の意味合いが強い。

 姓が同じならば、そうに決まっている。

 それにしてはまったく似たところのない、また、同じ学年であることも奇異なふたりではあったのだけど。

 しかし返ってきた答は――。


【澪】「いや、その……ボクとご主人さまは……兄妹っていうか……そのぉ……」

【薫】「……僕と澪のことは、君には関わりのないことだ」

 ガタガタッ。

 生徒たちがざわめきたった。

 「ご主人さま」である。
 思いもかけない言葉に、教室中が騒然となる。

【澪】「あ、その、べ、別にボクたち変な関係とかそういうんじゃなくって……あ、あのね……」

【澪】「ご、ご主人さまも何とかいってよーっ!」

 あたふたと取り乱す澪を尻目に、薫は平然としたものだ。

 そもそも薫はそんなまわりの様子にはあまり関心がなさそうな、どこか厭世的な──心ここにあらずといった様子だった。

 そのとき。

 突然ひとりの女生徒が立ち上がった。

【生徒A】「あ、委員長……」

【生徒B】「高松さん……」

【生徒C】「委員長…どないしたん……?」

 毅然とした態度で屹立し、たちまちクラス中の視線をかっさらった彼女は、じっと薫の姿を見据える。

【いずみ】「私、高松(たかまつ)いずみ。このクラスの委員長をまかされてるの」

【いずみ】「…まあ、それはいいんだけど……」

 真剣ないずみの表情に、生徒たちは何事かと耳をそばだて、注視する。

【いずみ】「鳳薫……くん?」

【いずみ】「あなた…」

 そのままツカツカと、教壇脇の薫の目の前までやってくる。

【薫】「……」

 無表情の薫。冷たいとさえいえる瞳がいずみを映し出す。

【薫】「………」

【いずみ】「………」

 じぃーと見つめ合うふたり。いや、にらみ合っているのか。

【澪】「ちょ、ちょっと……ご主人さま……?」

 緊張は、次の瞬間、あっけなく崩れた。

【いずみ】「うん…イイ……」

【澪】「へ…?」

【いずみ】「……カッコイイわぁ〜……」

 いずみは鼻先を突き出すと、つま先立ちのようになりながら、すっと薫の面へと唇を接近させて……。

 ガタガタガタッ!!

 最前に倍するどよめきが湧き起こった。

 あまりのことに、皆、息をつめて見入ることしかできない。


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