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【澪】「な、な、な……!?」

 澪は驚きに声も出ない。

 ちぅ〜、と何が行われているのか想像すると赤面さえしてしまいそうな、そんな音まで漏れてきそうな、長い長いキスだった。

【澪】「ご主人さまぁぁーーーーーっ!!!」

 目を白黒させていたのも束の間、我に返った澪は、ワナワナと拳を握り締めながら大声を上げる。

 それを合図にしたかのように、密着していたふたりの顔が、ようやく離れた。

 ふぅぅーー、となぜか教室中から深いため息がハモって唱和した。

 担任の、エヘン、という咳払いが白々しく響く。

 薫はといえば、あいかわらずのポーカーフェイスで、彼だけ見ていれば、いま起こった出来事は夢か何かだったのでは、という気さえしてくる。

【薫】「いや、澪……僕は何もしてないんだけど……」

 薫は澪の方をちらりと見て、特に悪びれるでもなく、いう。

【澪】「もう、信じられないよっ。どうしてよけられないのさ!」

【澪】「こんな…キ、キ……」

【薫】「キ……何?」

【澪】「もお、しらないっ!」

 真っ赤になって、澪はそのままそっぽを向いてしまう。

【いずみ】「ごめんね〜、澪ちゃん。あなたの、ご主人さま?あんまりイイ男なんで、気付いたらついフラフラ〜と……」

【澪】「そんな…そんな……」

【いずみ】「私、たま〜に突飛な行動を取るな〜ってよくいわれるのよ。…他人よりちょっと好奇心が強いだけなんだけどねえ」

 おどけるように舌を出すいずみに、澪は涙まじりの瞳を向ける。

【澪】「そんな……そんなことで、ご主人さまの……」

【いずみ】「ご主人さまの……?」

【澪】「しらない!」

 ふくれて、澪はいずみから視線をはずした。

【いずみ】「ふぅーん。なるほどね……」

 泰然とかまえる薫と、混乱して取り乱す澪を一瞥して、いずみは、意味ありげにこっそりとつぶやいた。

 が、結果として。

 この突然のアクシデントが、薫と澪という奇妙な、そして相当にとっつきにくくもあるふたりを一気にクラスに溶け込ませたのも事実であった。

【薫】「そういえば……」

 それまで喧騒とは一線を画していた薫が、不意に口を開く。

 皆が薫を見る。

【薫】「ここは……何年の何組になるんだろう?」

 唖然とする生徒たちの前で、薫は少しも冗談であるようなそぶりもなく、大真面目でいってのけた。

 ……。

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■教室−昼休憩

 四限の終了を告げるチャイムの音が校舎に流れ出すと、とたんに生徒たちはあわただしく行動を開始する。

 学食へ駆け出す、弁当を広げる、おしゃべりのためにイスを移動させる等、やることはさまざまだが、いつもと違うのは――。

【いずみ】「みーおちゃんっ。もう、そんなに怒らないでよぉ。ね、もうしないから、ネ?」

 転校生である澪の机のまわりにはたくさんの生徒が群がって、ちょっとした人だかりをつくっていることだった。

 薫にはどうにも近寄りがたい雰囲気があって、その分澪に人気が集中したかたちだ。

【澪】「はは、もういいよ、あのことは……ええと、高松…さん?」

【いずみ】「いずみでいいわよ」

【澪】「じゃあ、いずみ…ちゃんでいい?」

【いずみ】「いいわよん」

【澪】「でも、もう、ぜぇっっっったい、しないでねぇ……」

 口調の勢いとは裏腹に、だんだん語尾が尻切れに小さくなる。

 「朝の出来事」を思い出したのか、うにゃむにゃと頬を薄く染める。

【いずみ】「あはは……ごめんねえ。あんな二枚目、そうはいないからねえ。しっかりつかまえておかなきゃ、ダメよぉ」

【澪】「ち、違うよ、ボクたちそんなんじゃないんだよ〜あわわ」

【いずみ】「ボクたち……?」

 言葉尻をとらえて、いずみがニヤニヤと問い返す。

【澪】「やめてよ、いずみちゃん〜」

 澪はともかく、尋常とは思われない薫の噂はあっという間に学園中に広まったらしく、教室の外にはこれまた話を聞きつけた者たちで人垣が出来上がっている。

 澪を中心とする集団からは離れたところでは、薫が我関せずとばかりに、自分の時間のなかに沈んでいる。

 何事を考えているものか、余人にはうかがい知ることのできない雰囲気をヴェールのように漂わせて。

 開け放たれたドアからは押すな押すなとたくさんの首が乱立して、きっちりその二倍の数だけの視線を薫へと送っている。

 実際澪を取り囲む渦からも、ときおりちらちらと彼のもとに泳ぐ瞳がある。

 そこにいるだけで、人の目を引かずにはおかない、うるわしい容姿を誇る青年なのだ。

【いずみ】「ちょっと…そんなとこにいないでさ。七瀬もこっちにきなよ。七瀬、まだ澪ちゃんと話してないでしょ?」

【七瀬】「え…あ…うん……わたしは、いいよう……」

 返事は制服の壁の向こうから聞こえてきた。

【いずみ】「いいからいいから、顔見せなさいって」

【七瀬】「あっ……きゃっ」

 いずみが強引に手を引くと、女の子が小さな悲鳴とともにまろび出てきた。

【いずみ】「ここにいるってことは、あんたも澪ちゃんに興味があったんでしょ? ほら、七瀬っ?」

【七瀬】「あ、その……鳳さん? ……はじめまして……」

 いずみにうながされて、ちょっと控えめな様子で、それでも丁寧に、少女はぺこりと頭を下げた。

【七瀬】「春日七瀬(かすがななせ)…です…」

【澪】「よろしくっ。ええと、春日さんも、その、名前で呼んでも、いいのかな?」

【いずみ】「あはは、呼んだり呼んだり。私と七瀬は中学からの付き合いだからね。私を名前で呼ぶなら、彼女も、ね。…な、七瀬?」

【七瀬】「好きなように呼べばいいと思うよ…」

【澪】「じゃあ、七瀬ちゃんだね。仲良くしてね。」

【七瀬】「…はい」

 七瀬は静かに、にっこりと笑っていった。

【澪】「七瀬ちゃんて…笑うとかわいいんだ」

【七瀬】「えっ…あの…そんなこと…ないです」

【いずみ】「澪〜、あんた七瀬落としてどうする気よ〜」

【澪】「ええ、ボクそんなつもりでいったんじゃないよう」

【七瀬】「もう…いずみちゃん……」

 七瀬は困った顔になりながら、非難がましい目でいずみを見る。

【いずみ】「はは、ごめんねぇ。七瀬も、ほら、気にしない」

【澪】「中学からなんだ。…ずっと友達なんだね……いいなぁ……」

 澪の表情に、ふっと翳りがきざしたように見えたが、それも一瞬のこと、すぐにもとの明るさにかき消されてしまう。

【いずみ】「長いからいいってもんでもないと思うけどね」

【七瀬】「すぐそういうこと、いうんだから……」

【澪】「はぁ、なんだか、すごくイキオイで生きてる人なんだね、いずみちゃんって……ご主人さまのコトにしてもそうだし……」

【澪】「…いずみちゃんって、昔からこうなの、七瀬ちゃん?」

 澪の質問に、七瀬はちょっと考えこんで、慎重に言葉を選ぶ。

【七瀬】「……初めて会ったときから、すごく奇特…あ、あは、えー…「自分を大切にする」人だなぁという印象は…あるかな……」

【七瀬】「でも、いわれてみると…なんだか最近のいずみちゃんは、ちょっとおかし――」

【七瀬】「――あはは、えっと、えっと…「輝いてる」…と思うよ」

【いずみ】「誉めてるのか、けなしてるのか、はっきりしなさいっ」

 いずみは笑い顔を作りながら、なにげに七瀬の革靴を蹴りつけた。

【七瀬】「あうっ」

【澪】「?」

【澪】「あは…ふたりともとっても仲良しだねっ」

 大勢のクラスメイトたちに囲まれて、澪は嬉しそうに笑顔をのぞかせた。

 ……。

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 ちょっとした騒ぎのようになっている教室を、ふいと薫は見渡してみる。

 休憩に入るや、すぐに澪の姿は人だかりに埋もれてしまったので、ここからは見えない。

 おしゃべりの声が耳に届く。

 窓から差し込む陽の光でいろどられた風景のなか、たくさんの生徒たちがめいめいの時間を過ごしている。

 何かを探るように、確認するように――薫はゆっくりと視線を転じていく。

 周囲の、どこかあわただしい流れとは切り離された一画が興味を引いた。

 薫が見るとはなしに眺めるうちに――。

【女生徒】「……え…?」

 彼女の方もその視線に気付いたか、ふっと顔を上げる。

 そして、目が合った。

【女生徒】「……あ…」

 少女は、手許の本に目を落としているところだった。

 彼女のそばまで歩みよる。

【薫】「ふぅん…」

【薫】「…なるほど」

【女生徒】「…転校生さん?」

【薫】「…どんな本、読んでるの…?」

【女生徒】「…ええっと…?」

【薫】「迷惑かな?」

【女生徒】「そんなことないですよ。…本、好きなんですか?」

【薫】「嫌いじゃないよ……ただ、君に惹かれたのか、本に惹かれたのかは、自分でもわからないんだけど」

 聞きようによっては――いや、そのまま受け取ってもかなり問題のありそうな台詞を、薫はさらりと口にする。

【女生徒】「本にでしょ?」

【薫】「『フィネガンズ・ウェイク』……」

【薫】「言葉の上にに課せられた制約を取り払ったといわれる作品だ」

【薫】「興味深いね」

装丁の上辺を指でなぞる。

【女生徒】「そうですね」

【薫】「名前を教えて欲しいな」

 少女の顔をのぞきこむ。

【女生徒】「ジョイス…」

【薫】「え…?」

【女生徒】「この本の作者」

【薫】「あー、ごめん、自分の名前を…」

 薫が頭をかく。

【女生徒】「沙羅」

【女生徒】「…法界院沙羅(ほうかいいんさら)」

【薫】「ふぅん…ありがとう」

【薫】「覚えておくよ」

【沙羅】「鳳くん……みんなにそんな風にいってるの…?」

 おかしそうに、沙羅が問いただす。

【薫】「いや、そうじゃないけど…興味をそそられたから、ね…」

【沙羅】「興味をそそられる…」

【薫】「この組だと、君だけ…かな」

 薫は「君だけ」の部分を妙に強調した。

【沙羅】「……」

【薫】「ごめん、邪魔したね」

【沙羅】「いや、いいですよ」

【沙羅】「それではね…転校生さん」

 ……。

 沙羅との別れ際、薫は誰にいうともなく、微笑してつぶやく。

【薫】「やはり、いるな…」

【薫】「言霊使いの集う学園…か」

 沙羅から離れるとき、薫は自分を見つめる一対のまなざしとすれちがう。

 クラスのなかでもきわだった存在感。

 かなりの巨躯を誇る、巌のような男が、薫の挙動をとらえていた。

 それは、朝、教室に足を踏み入れたときから、ことあるごとにまとわりついていた。

 その、荒々しい視線と交差するとき、薫はすっと口の端をつり上げてみせる。

 それは男に見せるような、挑発するような仕草だった。

 ……。

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■教室−放課後

 一日の授業が終わり、放課後が始まる。

 大半の生徒にとっては、これからが活動時間といってもいい。

【いずみ】「じゃ、また明日〜澪ちゃん。ご主人サマも」

【澪】「いずみちゃん、ご主人さまをそんな風に呼ばないでよ〜」

【いずみ】「薫ちゃん…薫おにーさん…どう呼べばしっくりくるのか…」

【七瀬】「薫くん、でいいんじゃないかな」

【いずみ】「ホントに学校案内しなくてもいいの? 転校生といえば定番でしょ〜」

【澪】「あは、ありがとう…でも、うん、大丈夫だから」

【七瀬】「さぁ、行こ。澪ちゃん、薫くんも…またね」

【いずみ】「あ、ちょっと…待ちなさいよぉ」

 目礼して、七瀬が教室を後にすると、いずみもそれを追いかける。

【澪】「なんだか…気を使われてるみたいだなぁ」

 薫のかたわらで、澪はちらりと「ご主人さま」の方をうかがいながら、つぶやく。

【薫】「そうか?」

【薫】「しかし、澪…「ご主人さま」というのはやっぱり変だぞ」

【澪】「ん〜、でも…ご主人さまはご主人さまだし…」

【薫】「まあ…好きに呼べばいいけどな」

【澪】「……うんっ」

 ……だんだんと教室の生徒たちの姿もまばらになっていく。

【薫】「澪…」

【澪】「えっ、なに、ご主人さま?」

【薫】「いや…」

 薫の脳裏を男からの言葉がよぎっている。

 あの、苛烈な力を大きな体躯に押し込め、それでもなお隠し切れず周囲に漏れ漂わせているような、男。

 その男からの言づてだ。
 クラスメイトのひとりが伝えてくれた。

 「放課後、体育館裏で待つ」

 なにやら笑ってしまうくらい、実直、基本の内容である。

 前時代的ともいえるが、不思議と男には似合ってもいる。

 そういう匂いを感じさせる男だった。

 それを伝えてくれた生徒――ちなみに男子だが、彼は親切にも薫に行かない方がいいと忠告してくれた。

 本当に伝言を頼まれただけで、特に男と関わりがあるというわけでもないのだろう。

 どうしたものか…。
 薫は心中かすかにうめく。

 行く行かないではない。
 薫はそのことについてはまったく心配していない。

 問題は、このことを…。

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1999 (C)Cyberworks co. / TinkerBell 「Voice〜君の言葉に僕をのせて〜」